埼玉在住中小企業勤務ダメ人間の思うところ・・・

「中小企業の勤め人」に復帰し「浪人」ではなくなりましたので、ブログ名も元通りに戻しました。

野村克也氏の現役当時の映像は殆ど残ってないのか・・・

2月11日に亡くなられた、ノムさんこと野村克也氏の経歴や実績を伝えるテレビ番組が数多く放送されていますが、その殆どが南海、ヤクルト、阪神楽天の監督として活躍されたころの映像を使っています。中には社会人野球のシダックス(2003~2005年)の監督時代の映像を丁寧に使っている番組もあり、こうした番組は非常に好感が持てます。

↓ 野村克也氏の死去を伝える朝日新聞2月12日朝刊1面

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ところが、現役のプレーヤーとして活躍している当時の映像は殆ど放送されません。

選手としての野村氏の活躍時期は、昭和31年~昭和50年までの20年間。この20年間、昭和49年を除いて20本塁打と打率3割のいずれか、または両方をクリアしています。

やはり昭和30年代や昭和40年代となりますと、録画機器や録画ビデオテープなどが高価で、通常の試合などは録画されることなどなく、仮に録画していても、優勝決定試合とか、完全試合無安打無得点試合とか、何らかの記録が達成された試合でもなければ保存することはなかったのかと思います。

さらに、野村氏が活躍していた当時のパ・リーグの観客動員数は1試合平均で5000~10000人程度。かなり水増ししてもこの数字で、実際には観客が1000人以下で、ほぼ無人の外野スタンドが写る写真が数多く見られます。ちなみに平成31年(令和元年)度のパ・リーグの1試合平均観客動員数は27203人です。人気が無い当時のパ・リーグの試合の取材記者の人数も限られており、映像どころか写真すらも残っていないのは無理もないことかな、と感じます。

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ただ、昭和30年代~昭和40年代の雑誌などで、野村氏がどのような考えで野球に取り組んでいるのかをインタビューや対談で語る場面はかなり多く見られます。長嶋・王に比べたら注目度が低いとご本人はお考えですが、当時からメディアは野村氏の発言には着目していたのではないかと感じます。

↓ ベースボールマガジン 昭和38年4月号 長嶋茂雄氏との対談

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↓ 報知新聞社発行 栄光の背番号3 長嶋茂雄 「監督とは孤独なもの」寄稿

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通算本塁打657本は、王貞治氏に次いで第2位。通算打席数や打数は史上1位。通算犠牲フライ数も1位。現役生活を27年も続けたため通算併殺打も1位。意地悪な野球ファンは、当時南海ホークスが本拠地にしていた大阪球場は狭かったので、本塁打が出やすかったと語っているようですが、当時の野球場などはどこも似たようなもので、平和台球場川崎球場広島市民球場なども結構狭かったように記憶しています。

私たちの世代ですと、監督としての野村氏、も強打の捕手として鳴らした野村氏の双方のイメージがはっきりと記憶として残っていますので、映像で見たかったというのが本音です。

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ところで最近、YouTubeで映像を見つけ出して嬉しかったのが、野村氏と同じ時期に毎日~大毎~東京~ロッテ~西鉄で活躍した榎本喜八氏の打撃。

↓ 実績がありながら謎に包まれている榎本喜八氏を紹介する名著「打撃の神髄」

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講談社刊 1800円(税別)

15年前に購入しましたが今でも繰り返し読みたくなる名著です。

 

↓ 文庫でも「打撃の神髄」が出版されてます

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これですと半値で買えますね(^^)

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榎本氏は、史上最年少2000本安打到達者で、31才7か月での到達でした。実は今年、巨人の坂本勇人選手が7月29日までに116安打を放てば、榎本氏の記録を抜き、史上最年少での2000安打到達となります。ですので、今年のプロ野球中継では何度も榎本氏の話題に触れることになると思われます。

榎本氏は昭和47年まで現役の選手でしたので、私はすでにプロ野球には少しずつ関心を寄せてはいましたが、当時のパ・リーグの試合がテレビ中継されることなど殆ど無く、パ・リーグのチームヤ選手がテレビで観ることができるのは、日本シリーズオールスターゲームくらいでした。引退後にコーチにも監督にも、解説者にもならなかった榎本氏はどのような選手なのか、どのような人物なのかが判りませんでした。

前述の野村克也氏は南海の捕手時代に榎本氏を評して「王さんの選球眼は凄いと言われているが、榎本さんのほうがもっと凄い」としています。

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それでは、YouTubeで見つけた、昭和41年オールスターゲーム第1戦、阪神・バッキー投手と榎本喜八氏の対戦の模様をご覧ください。特に、1球目の避け方と2球目の外角の球を豪快に引っ張るフルスイングに注目してください。

↓ こちらです 

この映像だけでも榎本氏の凄さがご理解いただけるのではないかと思います。榎本氏は20114にお亡くなりになっていますが、通算安打数2314と一致しているのは何らかの因縁を感じます。

 

昭和13~15年の3年間発行された「5銭アルミ青銅貨」

今日は仏滅なんですが、嬉しい嬉しい金曜日。しかも明日から3連休とあって、気分は最高です。\(^o^)/

嬉しさのあまり、夕方5時半の帰宅後に読書と仮眠をとっていましたら、午後10時を回っていました。こんな日は古銭の紹介にします。

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2月9日に投稿した「10銭アルミ青銅貨」と同時期に発行されていた「5銭アルミ青銅貨」。「偽金(ぎきん)」とも称されるほど金(きん)に色合いや輝きが似ている、「アルミ青銅」については、2月9日の記事をご参照願います。

 

↓ 2月9日の投稿「10銭アルミ青銅貨」

saitama-dame.hatenablog.com

それでは「5銭アルミ青銅貨」を紹介します。

↓ 昭和13年~15年までの3年間発行されました

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昭和13年4月の国家総動員法の公布と時を同じくして発行された5銭アルミ青銅貨。表は菊と桐の紋章、裏は桜花の意匠。国粋主義を感じさせるデザインですね。

↓ 直径19mm。現行の5円黄銅貨(22mm)に似ていますが、一回り小さいサイズ

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↓ 所有枚数は550。11列×5段×10枚で並べてみます

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↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに近づいて撮影。ピカピカの硬貨と味わい深い渋さを訴える硬貨とが混在

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↓ 並んでいた550枚の「5銭アルミ青銅貨」を崩します

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↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに近づいて撮影。なお品位は、銅95%、アルミ5%。量目は2.80g

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希少性はそれほどなく、古銭等を扱う店舗などでは100円前後で入手できます。

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さぁ、3連休初日の明日(土曜日)は総合病院でのリハビリです。担当の理学療法士の先生のおかげで99%回復しましたので、リハビリに通うのは明日で卒業となる見込みです。もう少し通いたかったので、多少残念にも感じます(^^)

今年は国勢調査の年でもあるんですが・・・(後編)

一昨日、今年の秋に行われる国勢調査についての記事を投稿するつもりでしたが、前置きが長くなってしまい、今日改めて国勢調査について投稿をさせていただこうと思います。

国勢調査は5年ごと、西暦が「5の倍数の年」に行われる、国の最も重要かつ基本的な統計調査で、国内の人口、世帯、産業構造などについての調査が行われます。

西暦の末尾が「0」の年が大規模調査で調査項目が20項目。西暦の末尾が「5」の年は簡易調査で調査項目が17項目です。

調査項目について、5年前(2015年)の簡易調査と10年前(2010年)の大規模調査の際の調査項目を記してみます。

◎世帯員に関する事項

 ア  氏名

 イ  男女の別

 ウ  出生の年月

 エ  世帯主の続き柄

 オ  配偶の関係

 カ  国籍

 キ  現在の住居における居住期間

 ク  5年前の住居の所在地

 ケ  在学、卒業等教育の状況 (大規模調査のみ)

 コ  就業状況

 サ  所属の事業所の名称及び事業の内容

 シ  仕事の種類

 ス  従業上の地位

 セ  従業地又は通学地

 ソ  従業地又は通学地までの利用交通手段 (大規模調査のみ)

◎世帯に関する事項

 ア  世帯の種類

 イ  世帯員の数

 ウ  住居の種類

 エ  住宅の床面積 (大規模調査のみ)

 オ  住宅の建て方

調査項目について、大規模調査と簡易調査に極端な差は無いように思えます。

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第1回国勢調査が行われたのは、1920年(大正9年)で今年は21回目。国勢調査が始まって100周年に当たる今年は、9月1日に「国勢調査100年」の記念切手が販売される予定です。私、個人的には記念硬貨も発行して欲しいと考えていますが、そんな予定は無いでしょうねぇ。

1970年(昭和45年)の第11回国勢調査私の記憶にある最初の国勢調査で、国勢調査では初めて人口1億人を超えた(103,720,060人)と報道されていたのが印象に残っています。(実際に日本の人口が1億人を超えたのは昭和42年ですが、5年に1度の国勢調査で人口1億人超となったのは昭和45年が初めてのことでした)

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昨年5月の改元以来、自然災害の多発やこれまでに見られないような交通事故の多発、東京オリンピックに開催向けての不手際、政権や国会の空転、そして新型肺炎ウイルスと、悪いニュースが目立つ中、今年の秋に行われる国勢調査も実は大変なことになるのではないかと不安視されています。

何が大変かといいますと、調査員を引き受けてくれる人の絶対的な不足です。約70万人の調査員が必要ですが、必要な人員が確保できず困っている自治体が数多く見られます。

↓ 総務省統計局のサイトでも国勢調査員募集を呼び掛けていますが・・・

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↓ 「国勢調査 調査員 募集」で検索すると、もの凄い数の自治体で募集しています

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1調査区(50~70世帯)あたりの報酬が4万円程度で、インターネット用IDの配布から始まり、インターネットでの回答が無かった世帯に調査用紙の配布と回収をすることなどが主な業務ですが、これがかなり大変な業務らしいんです。

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50~70世帯を訪問して昼の時間帯に調査対象者に面会できるのは半数程度。ワンルームマンションでは1割程度しか面会できないとか。とにかく会えるまで何度も訪問を繰り返すしかないそうです。

しかも会えたとしても、個人情報を記すことに強い抵抗を示す人や、そもそも国勢調査に意味があるのかと食ってかかる人、言葉が通じない在日外国人がこの30年で増えているとのことです。

30年前の1990年(平成2年)の国勢調査では、広島県国勢調査員の36才の女性(主婦)が調査の訪問先で絞殺される事件が起きたこともあり、その頃から国勢調査員の希望者が減り始めています。

私ではとても務まる仕事ではありません。国勢調査員をされる方は、報酬よりも国家の重要な調査に関わっているという誇りを感じながら業務に当たっているのではないかと思いますが、もはや誇りとか気概だけで務まる性質の業務ではなくなっていると感じます。

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国や自治体でも国勢調査員の確保に必死ですが、解決策がなかなか見つからないようです。しかも今年は東京オリンピックが開催され、オリンピックの開催時期と国勢調査員の説明会の時期が重なることから、ボランティアや公益事業に協力的な人々がオリンピックのボランティアに参加してしまうのではないかと考えられています。

苦肉の策なのか、地元の大学の学生に調査員を依頼する動きがあるようで、島根県島根県立大学の学生に調査員を依頼し、調査に協力した学生には単位が認定されるとのことです。最近ボランティア活動などで単位を認定することが多いようですが、それはちょっと違うようにも感じます。

島根県のほかにも、青森県弘前大学、千葉県は千葉科学大学城西国際大学の学生が調査員として活動をしている、あるいは活動する予定とのこと。

町内会の有力者や民生委員、古くからの顔なじみの方が調査員として訪問しても苦労している状況で、この方法が定着するのか疑問ですが、私ではほかに良い解決策を示すこともできないので、成り行きを見守るしかないです。

あと半年で国勢調査調査員を必要人数確保し、説明会を開催し、調査を進めることになりますが、自治体によっては調査員の不足や、対象者の調査拒絶によって、国勢調査開始以来経験したことの無い調査票の回収率の低さが大問題になるのではないかと考えています。

今年は国勢調査の年でもあるんですが・・・(前編)

このところ、新型コロナウィルスの感染拡大の報道一色で、東京オリンピックの話題などどこかに消えてしまっているようです。

私はヘソ曲がりなのか、東京でオリンピックを開催することにはあまりよい印象を持っていませんで、海外のオリンピック会場に乗り込んで行って、メダルを奪い獲ってくるほうが気分がいいと考えます。

自国開催となりますと、海外から来日される選手団や観客などをもてなす必要がありますが、そんなのは会社の忘新年会や歓送迎会の幹事をやらされるようなもので、どんなに気を遣っても、参加者の不満がくすぶる非常に損な役回りなのでやりたくなんかないですよね。

忘新年会や歓送迎会なんかは、単なる一参加者として、開始時刻に会場にすべり込んで、お開きになれば速やかに帰りたいものです。

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オリンピックの自国開催も似たようなもので、何年もかけて、億単位、いや兆単位のカネを使って競技会場や選手村などを入念に整備し、オリンピック開催期間やその前後は国民を巻き込んだスケジュール調整。どんなに気を配っても何らかの問題は必ず発生しますので、容赦のない批判を国内外から浴びることになります。それこそ忘新年会や歓送迎会の幹事のようなものです。

オリンピックは、整備された海外の会場に出かけて行き、盛大で気配りが行き届いたもてなしを受けて、自分の競技が終わったらさっさと帰ってくればいいんじゃないかな・・・と思います。

こんな考えの選手、アスリートっていませんでしょうか?

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確かに、自国開催となれば慣れた環境で競技に参加できる選手やアスリートにとっては、好記録、好結果を出しやすいといったメリットはあるのかもしれません。アスリートファーストの観点からすればそれでいいのかもしれませんが、国民や都民に課せられる負荷が大きすぎるようにも感じます。

財政面だけでなく、一時的な治安の悪化、毎年行われている行事や催事の日程変更など、犠牲を強いられる事が多すぎる。

例年、8月のお盆の時期に開催されている、コミックマーケットが、今年はゴールデンウィーク期間に前倒しで開催されたり、私も楽しみにしているアマチュア無線の祭典・ハムフェアも例年8月下旬か9月上旬に開催されていますが、今年は10月31日(土曜日)と11月1日(日曜日)になってしまいました。

もっとイヤなのは、学生野球の聖地であり、私も学生の頃に200回以上通い詰めた思い出の地でもある明治神宮野球場」が7月6日から9月13日までの70日間もオリンピック組織委員会に接収されるとのこと。野球やソフトボールの競技会場として利用されるのならまだ理解もできますが、用途がなんと「物置場所」。何とも切ないですね・・・(><)

オリンピック関係者の中には東京六大学や東都大学連盟に所属している大学のOBがたくさんいる筈ですが、そうした人々は明治神宮野球場の物置利用」に反対しなかったのか? 聖地「明治神宮野球場」がここまで馬鹿にされた扱いを受けても平気な六大学OBや東都OBが組織委員会にいることが本当に不思議・・・。

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ついつい感情的な記事になってしまい、ここまでお読みになった方の中には不愉快な気持ちになった方もいらっしゃるかもしれません。東京オリンピックを心待ちにしている方もいらっしゃるかもしれません。世の中にはさまざまな考えの人がいますので、私と対立する考えの方であっても、それの考えそのものは尊重します。

あー、今日のテーマは「今年は国勢調査の年でもあるんですが・・・」でしたが、前置きが長くなり過ぎましたので、「国勢調査」については明後日(2月19日)に「後編」として投稿します。

破綻した投稿スタイルになってしまいましたが、これでこそ「ダメ人間の思うところ・・・」のタイトルに則っています(^^)

新型肺炎感染を恐れて外出を取り止める臆病者なんです・・・

標題の通りです。

土曜日や日曜日にさまざまなスポットに出かけることを楽しみにして、平日はツラい仕事を我慢してこなしています。

土曜日の今日は、東京・有楽町の東京交通会館3階で開催されるコインや切手の大即売会に出かけ、その足で東京・上野の国立科学博物館の「ミイラ展」にも行こうと数日前から張り切っていましたが、新型肺炎がジワリジワリと感染範囲を拡大しつつあり、しかもその感染ルートや治療法なども判らない薄気味悪さも感じますので、残念ですが今週は東京へ出かけることを止めました。

「コインの即売会」と「ミイラ展」を本当に楽しみにして今週の業務に耐えてきましたので残念でなりませんが、マスクも入手できない状況で群衆の中に飛び込んでいく勇気が無く、諦めてしまいました。今日が仏滅であることも、弱気にさせられた要因の一つです。

知人からは「そんなことを気にしていたら何もできないよ」と言われてしまうのですが、人一倍臆病者なので、果敢に東京に出かけることを断念してしまいました。

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そんなことから、土曜日の今日は、朝9時に近くの総合病院で痛めている左肩や左腕のリハビリに行っただけです。

↓ 毎週土曜日の朝9時からのリハビリが結構楽しみなんです

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担当してくださる理学療法士の方が親切丁寧で、凝り固まった肩や背中、腕などの筋肉をほぐして下さる上に、効果的なストレッチ運動の方法をいくつも教えてくださるので、自宅でも短時間で効果のあるストレッチ運動を行うことができます。

昨年の暮れから1月下旬にかけて左肩、左腕、頸部に非常にツライ痛みや痺れがあり、一時は「もうダメかもしれない・・・」と思ったのですが、理学療法士の方の的確なアドバイスもあり、通院してわずか1か月でほぼ回復しております。恐らくは、今月19日(水曜日)の診察をもって、ひとまず頸肩腕症候群の治療は終わりになると思います。こちらの病院で受診して本当によかったと思います。

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さて、リハビリを終えて帰宅しますと、一昨日のブログで紹介しました「SHIMADAS」や新聞、雑誌を熟読して過ごします。このような休日の過ごし方も悪くはなく、結構好きです。

 

すると突然、今年は自分が小学校に入学してからちょうど50年経つ年であることに気づきます。

2020年(令和2年)4月に小学校に入学する児童にとって、50年前(昭和45年)に小学校に入学した私などは全く別世界の人に感じるのではないだろうか・・・・、などと思いを巡らせてしまいました。

 

私は1970年(昭和45年)4月に小学校に入学しましたので、その50年前となりますと1920年(大正9年)。そんな大昔に小学校に入学した人と自分とは全く接点など無く、別の世界の人のように感じます。今年の4月に小学校に入学する子どもたちにとって、昭和45年も明治45年も区別がつかないような大昔のことと感じるのではないかと思ってしまいます。

私が小学校1年生だった昭和45年当時、昭和20年の終戦の年でさえ想像すらできない太古の昔のように感じていましたし、その頃の風景までも白黒のモノトーンかセピア色であるかのように思っていました。

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同様に、中学校に入学してから44年が経ったのですが、私が中学校に入学した昭和51年から44年前の昭和7年に中学校に入学した人のことはやはり別世界の人のように感じますので、今年の中学校の新入生にとっては私などはやはり別世界の人として映るのでしょう。

高校は昭和54年入学ですから、今から41年前のことになります。高校入学のころになりますと、自身が入学した年の41年前の昭和13年がどのような時代背景なのかはなんとなく把握できるようになってはいますが、それでも古すぎて同じ学校の先輩・後輩という関係や、同窓の関係と、理屈では解かっていても、実感が湧かないというのが正直なところです。

大学は1年浪人しましたので昭和58年入学です。今から37年前のことですので、今年の4月に大学に入学する方々にとっての私は、私が考える昭和21年入学の方々に相当します。やはり古すぎてピンときません。

 

自分では、昭和45年の小学校の入学式も、昭和51年の中学校の入学式も、昭和54年の高等学校の入学式も、昭和58年の大学の入学式も、全てはっきりと記憶しており、それほど昔の出来事と感じてはいないのですが、今年の4月に小学校、中学校、高等学校、大学に入学される児童、生徒、学生の方々からすれば、私などは同じ学校の同窓の関係とはいえ、古すぎて想像を絶する時代の卒業生で、実感は湧かないだろうなぁ・・・、と思います。

 

休日にヒマな時間があると、ついついこのような変なことに思いを巡らせてしまうクセがあるんですよね・・・(^^)

15年ぶりの新版SHIMADAS(シマダス)が届きました

SHIMADAS(シマダス)は、公益財団法人日本離島センターが出版しているわが国の島々を紹介する島の総合ガイド書です。地理や島旅が好きな方々には広く知られている書物。あまりにも内容が充実していますので、単なる「総合ガイド」ではなく、「日本の島嶼広辞苑と呼んでも差し支えないと個人的には思っています。

ブログをお読みの方の中でも、このSHIMADAS(シマダス)をすでに知っている、あるいはもうすでに手許に1冊置いてある方もいらっしゃるのではないかと思います。

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↓ 昨年の秋に15年ぶりにリニューアルしたSHIMADAS(シマダス)。

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年末年始でバタバタしていまして、ついつい購入が遅れてしまいました。

↓ 15年前のSIMADAS(左・緑色)と新版SHIMADAS(右・青色)

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15年前の版でもかなり充実していまして、大満足で読んでいましたが、今日届いた新版は厚みをさらに増しており、かなり改訂されているのではないかと期待できます。

 

↓ 15年前の版は1327頁、今度の新版は、なんと1711頁もあります(^^)

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↓ 価格ですが、15年前の版は税抜3000円でしたが・・・

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↓ 新版は税抜4000円。一度お読みになれば、この価格は安すぎると感じるはず

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仮にこの価格の倍の8000円だったとしても買います。それくらい内容は充実しています。

↓ 15年前の版では、1100もの島を掲載しており十分凄かったんですが

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↓ 新版に掲載されている島の数、なんと1750!!

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なんと650もの島が新たに掲載されまして、これまで知らなかった島の情報を楽しく読ませていただいております。

今回、15年ぶりの新版を買うにあたって、島々の所在地の自治体が合併などで変わる点や、世帯数や人口の増減、最近の出来事などが確認できればいいかな、とその程度で考えていましたが、予想をはるかに上回るバージョンアップで凄く嬉しいです。期待に応え過ぎ\(^o^)/

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海上保安庁が発表している日本の島の数は6852で、そのうち有人島は420前後で、残る6430余りは無人島。新版SHIMADAS(シマダス)は約420の有人島のほか、約1330もの無人島を紹介していることになります。これは本当にすごいことだと感じます。この新版SHIMADAS(シマダス)を1人でも多くの方に手に取っていただきたいと思います。なお、海上保安庁は島としてカウントする条件を「島の周囲が100メートル以上」としています。念のため申し添えます。

最後に、公益財団法人日本離島センターさんのホームページの中の「SHIMADAS(シマダス)」の紹介をしている箇所のリンクを貼ります。

↓ こちらです

www.nijinet.or.jp

是非ご覧くださるようお願いいたします。それでは私は新版SHIMADAS(シマダス)を熟読して入浴して就寝です・・・。

2月21日、37年前の今日は私立大学の受験をしていました

※大変申し訳ありません・・・訂正です・・・。

 

 

↑ 標題の「2月21日」は間違いで、正しくは「2月11日」です。

↓ 本文1行目の「2月21日」も間違いで、正しくは「2月11日」です。

 

本当に失礼いたしました・・・。こんな間違いをするから、2年連続で共通一次試験に失敗するんですね・・・、トホホ・・・。

 

 

標題の通りです。37年前の今日(2月21日)は、東京都内の私立大学の受験をした日ですので、毎年この日になると当時のことを思い出します。

私はもともと国立大学一本槍の受験でしたので、現役のときは国立大学のみの受験で私大は受験せず、浪人して臨んだ2回目の受験も国立大学専願でしたが共通一次試験が絶不調、希望する国立大学への進学はほぼ絶望的になりました。

2浪はしたくないけど大学生にはなりたい・・・。であれば、それまで考えたことも無かったのですが、私立大学を受験するしかありません。

しかしながら、国立大学一本槍だった私は、共通一次試験の社会科でそれほど勉強しなくてもある程度の得点を狙える「地理B」と「倫理社会」を選択していましたので、私立大学入試の社会科で課せられる「日本史」や「世界史」あるいは「政治経済」は全く勉強していませんでした。私立大学を受験することなど全く考えていませんでしたので当然の流れです。

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共通一次試験の自己採点が終わり、希望する国立大学合格は無理と悟ってから、大慌てで私立大学の募集要項を調べ始め、「英語」「国語」はともかく、選択科目となる3つ目の科目に「地理B」か「倫理社会」で受験できる大学を探すことになります。

共通一次試験対策しかやってきませんでしたので、最初から私立大学を目指して大学ごとの過去問などをじっくりと勉強してきた受験生に勝てる筈はありません。しかも「地理B」や「倫理社会」で受験できる大学など殆どありません。

そんな中で、東京・市ヶ谷にある私立大学で幅広い選択科目から選べることを知り、入試難易度もそこまで厳しくなさそうなので、その私立大学の4つの学部に祈るような気持ちで入学願書を提出しました。とにかく大学生になれればどんな学部・学科でも構わないというとんでもない受験生でした。

直前まで入学願書の入手方法や受験料の振込手続き方法、入学願書の作成方法、高等学校の調査書の入手方法、どれも知りませんでしたので、それだけで右往左往していました。当時の高等学校や予備校はそれほど丁寧に指導はしていなかったように思います。

なんとか入学願書を提出したものの、当時新潟県に住んでいた私が、東京で受験するのですから宿泊場所を必要とするのですが、東京には全国から受験生が押しかけますので、1か月以上前からホテルや旅館は予約が殺到しているのだと思いますが、何も準備をしていなかった私は途方に暮れ、親に頼んで東京・上野にあるホテルを辛うじて確保してもらいました。シングルルームは満室で、仕方なく2人部屋に1人で宿泊しました。2人部屋の宿泊料金はべらぼうに高かったと記憶しています。

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国立大学一本槍から急遽私立大学受験に転換し、バタバタしながらもなんとか受験することができましたが、東京の鉄道の仕組みや乗り方がよく解っていない上に、願書〆切ギリギリで提出したためか、入試会場が神奈川県川崎市にある付属高校でしたので、その場所が判らないなど準備不足の私に次々と困難なことが襲い掛かります。今ならスマホで検索すればすぐ判りますが・・・。

そして迎えた2月11日が4学部受験の最初の学部でした。その受験票はまだ手許にありますが差し障りのない部分だけご覧いただきます。

↓ 受験票の一部分

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選択科目が「社会、理科、数学、商業」と幅広く、私立大学文系では必須となっていた日本史や世界史をそれほど学んでいなくても、地理Bや数学、化学などでも受験できました。私はこの選択科目の幅広さに救われました。選択科目には商業もありますので商業高校の生徒(や卒業生)も得意な簿記で高得点を叩き出せば合格できますね。

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結果として、私立大学入試は事前の準備不足もあり、2月11日に受験した学部のみ辛うじて合格し、それ以降の日に受験した3学部は不合格でした。私立大学入試は1勝10敗でもとにかく大学生にはなれますので、1つ合格すればそれで十分です。1つだけ合格した学部に入学し、きっちりと4年で卒業できました。

余談ですが、この受験票の右端には合否の結果を知らせる電報に対する注意事項が記されています。

↓ これです

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この当時、大学入試会場の近くの路上には、合否を電報で知らせるという人たちがたくさん待ち構えていました。当時はインターネット、ホームページなども無く、受験生が合否を確認するには大学構内の掲示板を確認するか、合格通知書が郵送されてくるのを待つしかないことから、受験生に代わって構内掲示板で合否を確認し、その結果を電報で知らせる行為が行われていました。

実際に利用している人は少なかったように思います。電報の発信料金として高額の料金を受け取りながら、「電報を発信しようとしましたが、電話局が混みあっており、急いでお知らせするために電話でお知らせします・・・」と、電話だけで済ませて通信費を大幅に節約するケースが多く、また合否を間違えているなどトラブルが絶えなかったようです。

ネット全盛の現在では考えられない商売です。今でも時々、大学入試で合格すると「サクラサク」、不合格だと「サクラチル」などと表現することがありますが、この合否電報の名残りかと思います。

毎年2月11日になると、昭和58年のこうした一連のことを鮮明に思い出します。当時まだ19才、ですがつい最近のことのように感じます。

昭和13~15年の3年間発行された「10銭アルミ青銅貨」

昨年12月29日以来の古銭の紹介記事です。日曜日の夜は、明日からの勤務のことが気になってしまい、心のゆとりがありません。従って、あれこれと考えずに写真をベタベタ貼って記事にできる古銭紹介記事に頼ってしまいます。

ただ、明日の月曜日勤めれば、明後日の祝日が休みなので、多少は気持ちに余裕があります(^^)

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さて、昨年12月29日に「富士1銭アルミ貨」を取り扱って以来で、今年初めての古銭紹介記事です。

約30年にわたってパソコンのキーボード打鍵やマウス操作を続けてきたため左肩や左腕、さらには頸部に痛みや痺れが生じたため、ブログ投稿を「奇数の日」だけに抑えたのですが、書きたいことがどんどん出てきて「古銭紹介」が後回しになっていました。

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今日紹介するのは、昭和13年から昭和15年までの3年間発行された「10銭アルミ青銅貨」です。

↓ 旭日、海の波、二重桜花の意匠は海軍や陸軍の象徴。軍事色が現われています

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この「10銭アルミ青銅貨」と次回に紹介する予定の「5銭アルミ青銅貨」(昭和13~15年発行)だけがわが国で発行された「アルミ青銅」貨幣です。「アルミ青銅」とは銅とアルミの合金。この硬貨は銅95%+アルミ5%の合金です。

「アルミ青銅」は金(きん)に色が似ていることから、金(きん)の代用品として装飾品に用いられることもあり、「偽金(ぎきん)」とも呼ばれています。

腐食や摩耗に強い「アルミ青銅」は現在では主に船舶部品(スクリューなど)や機械部品に用いられています。

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ちなみに、「銅」は混ぜる金属によって性状が違ってきます。現在使われている硬貨でも・・・

・「銅」+「亜鉛」+「ニッケル」=洋白(ニッケル黄銅)・・・500円硬貨

・「銅」+「ニッケル」=白銅・・・100円硬貨、50円硬貨

・「銅」+「錫」=青銅(ブロンズ)・・・10円硬貨(銅+錫に亜鉛も含んでいます)

・「銅」+「亜鉛」=黄銅・・・5円硬貨

と、銅を主成分とした合金でも色が全く違います。なお、オリンピックの「銅メダル」は10円硬貨と同じ「青銅(ブロンズ)」であることが多いです。

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↓ 直径22mmで、現在使われている5円硬貨と同じです

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孔径は4.6mm。現行の5円硬貨の孔径が5.0mm。「10銭アルミ青銅貨」の孔径がやや小さいです。量目4.00グラム。(現行5円硬貨の量目は3.75グラム)

↓ それでは並べてみます。8列×5段×10枚=400枚

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この硬貨はそれほど多く持ってなく、手許に400枚しかありません

↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに接近して撮影。「金(きん)」に似た色や光沢で美しいものもあります・・・

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ですが、その光沢や色合いは比較的短い期間で失われます。

↓ 並んでいた400枚の「10銭アルミ青銅貨」をグシャリと崩します

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↓ 近づいて撮影します

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↓ さらに接近して撮影します

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殆ど未使用の美しい硬貨と多少汚れた硬貨が混在しています。わたし個人的には実際に流通して多少汚れている硬貨のほうが好みです。

希少性はそれほどなく、昭和13年、14年発行のものは100円程度。昭和15年発行のものでも200~300円程度で入手可能なようです。

さて、明日は月曜日。仕事や職場のことは、あれこれと考えず、詰将棋でも解いてそのまま就寝します・・・(^^)

あなたの住む都道府県には「村」はいくつありますか?

金曜日の夜を迎えまして、最高の気分です\(^o^)/

こんな日は気分よく地理ネタを書いてみたいと思います。

地理ネタは投稿する際に、お読みくださる方から関心を持ってもらえないかもしれないと思い、やや躊躇するのですが、これまでは意外と反応があり嬉しく感じております。

これまでに投稿した地理ネタで比較的多くの反応があったのは以下の2つです。

 

↓ 平成31年2月10日の投稿

saitama-dame.hatenablog.com

↓ 令和2年1月21日の投稿

saitama-dame.hatenablog.com

そして今日は、あなたの住む都道府県には「村」はいくつありますか? というテーマで、特に「村」が一つもない県にこだわってみたいと思います。

 

「市」「区」「町」「村」といった地方公共団体のうち、「村」が一つもないのは、長いこと兵庫県香川県だけでした。兵庫県は昭和37年4月1日から、香川県は昭和45年2月15日から、最後に残った「村」が町制施行され、以降「村」はありません。

私が子供のころから「村」が無いのは、兵庫県香川県の2つだけと記憶していました。ところが平成の大合併によって、平成16年秋から平成18年春までのわずか1年半の間に一気に11の県から「村」が消滅しました。

「村」が消滅したのは早い順に・・・

広島県滋賀県愛媛県、石川県、静岡県長崎県三重県福井県、栃木県、山口県佐賀県

古くから「村」が無い兵庫県香川県を含め、現在13の県で「村」はありません。意外と多くて驚かれる方も多いのではないかと思います。

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さらに、「村」の数が1つしかない府県をリストアップしますと・・・

宮城県・・・黒川郡大衡村

神奈川県・・愛甲郡清川村

千葉県・・・長生郡長生村

埼玉県・・・秩父郡東秩父村

京都府・・・相楽郡南山城村

大阪府・・・南河内郡千早赤阪村

和歌山県・・東牟婁郡北山村

富山県・・・中新川郡舟橋村

島根県・・・隠岐知夫村

鳥取県・・・西伯郡日吉津村

徳島県・・・名東郡佐那河内村

大分県・・・東国東郡姫島村

以上の12の府県では「村」は1つだけしかありません。

47都道府県のうち、半数以上の25の府県で「村」の数は0または1なんです。また、鹿児島県は4つの「村」がありますが、いずれも島嶼にあり、九州本島には「村」はありません。また、東京都には8つの「村」がありますが、その内7つは小笠原村など島嶼にあり、本州内の「村」は西多摩郡檜原村の1つだけです。

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逆に「村」の数が多い道県も紹介します。上位5県は以下の通りです。

1位 長野県 35村

2位 北海道 21村(※注:色丹郡色丹村国後郡泊村・留夜別村択捉郡留別村

             紗那郡紗那村、蘂取(しべとろ)郡蘂取(しべとろ)村の6つ

             の村を含みます)

3位 沖縄県 19村

4位 福島県 15村

5位 奈良県 12村

令和2年1月1日現在、わが国には189の「村」が存在していますが、この5つの道県だけで半数以上の102村を数えます。北海道が1位ではないことに意外だと感じられる方も多いのではないかと思います。

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多くの書物には、日本にある「村」は183、北海道の「村」の数は15と掲載されていますが、私は日本には189の「村」があり、北海道には21の「村」があると考えております。特に今日、2月7日は「北海道には21の村がある」と主張しなければなりません。

↓ 2月7日は・・・・・

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憂さ晴らしサイト「ハム将棋」が消えてから半月経過・・・

一昨日は勤め先の会社で「退出時刻が遅い」と指摘され、怒り狂ってこのブログにも心情を吐露させていただきました。

私はこれまで1部上場企業2社と中小企業2社、第3セクター1社に勤務してきました。学卒後に最初に勤めた会社(もしくは官庁・役所等)に永年勤続し、転職などすることなく定年まで勤め上げることこそが勤労者の理想と考えていましたが、その理想とは真逆な人生を歩んでおります。

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1部上場企業と中小企業とでは職場の雰囲気やそこに集う人々の性質が大きく異なるように感じます。現在勤めている中小企業は今年の秋で勤続20年になりますが、今でも戸惑うことや馴染めないことが多いのは、非常識で相性が合わない人物が多すぎるからだと考えます。

中小同族会社、すなわち権力が世襲制の組織はどこか北朝鮮の独裁体制に似た雰囲気を醸し出しており、能力が高い人物や常識を弁えている人物はすぐに目の敵にされ、排斥されてしまいます。そのため、私と気の合った人たちは、どんどん退職してしまい、職場での話し相手もいなくなってしまいました。

会社の独特の雰囲気や、他所の事業所では務まらないような人物に苦しめられる人々がいる一方、「聞こえないフリ」「気づかないフリ」を決め込んで、とにかく仕事をしない人物にとってはこの会社は桃源郷。仕事を放り投げて定時に帰るだけで高い評価を受けるんですから、こんなにいい環境はないでしょう。

仕事は正確に、丁寧に、他者には親切に、などと考えて定時に帰る努力を怠ると、途端にバッシングを受けます。

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ただ、一昨日のブログの記事に理解を示して下さる方が何人もいらっしゃって、非常に心強く感じました。嬉しかったです。はてなブログの皆さまのおかげで、折れかけていた心がしなやかに修復できました。心より感謝申し上げます。

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ところで、これまで職場でのイライラやストレスを持ち帰ってきた際に憂さ晴らしをしていた「ハム将棋」というサイトが、1月19日に突然消滅してしまいました。「ハム将棋」とは、文字通りハムスターと将棋の対局をするのですが、ある程度将棋を指す方から見ますと、ハムスターは弱いので対局をすることはないと思います。

ただ、「ハム将棋」というサイトの存在はご存知かと思います。

私もさすがに「ハム将棋」の平手で負けることはありませんが、ハムスターのキャラクターがカワイイのと、対局開始時と勝敗が決した際のゴングの音、それにハムスターの玉を詰ました時の派手なファンファーレが聴きたくて、1か月に1度はハムスター相手に平手で対局をしていました。

最後に「ハム将棋」と対局したのは、今年1月7日。年末年始の8連休明けに出勤してすぐにストレスを感じ、ハムスターをボコボコにして憂さ晴らしをしていました。たまたまその時の投了図を写真に撮ってありましたので掲載します。

↓ これです

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対戦相手のハムスターの駒を全て取り尽くしてボコボコにしてストレス解消した局面です。この図から、私が振り飛車であることが判ってしまいました。(^^)

その12日後、何の前触れも無く「ハム将棋」のサイトは消えてしまいました。

↓ 現在の「ハム将棋」のサイトにアクセスすると・・・

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この状態。もう復活は望めないのかと思います。ストレス発散、憂さ晴らしサイトが無くなって残念に思います・・・・。